久保田スラッガーの歴史-1968〜1979

今では多大なる支持をうけている久保田スラッガーですが、昔から人気というわけではないようです。昔はどちらかというと福岡を中心として、活動している選手が使っていたというだけで、現在の人気がでるまで、口コミだけで広まっていったというところもすごいですね。そんな久保田スラッガーの歴史を振り返ってみたいと思います。

【1968年】
○グローブを購入直後、硬くて使いにくいという声を受け、すぐに使用できるようにするためにグラブの型付けを考案する。

○ネクストバッターズサークルで実際のグリップ感覚を損なわずに重いバットが振れるようにバットリングを考案する。

【1971年】
○長期遠征のときに消耗してしまうスパイクを、ウレタン製にし取替え可能なスパイク裏金を考案する。

【1973年】
太平洋クラブライオンズ用として、ユニフォーム・帽子・ライン・マークを日本初、全てニット生地ユニフォームで納品する。

【1977年】
全ポジション同じグローブではなく、ポジションによって使いやすい大きさ・形のグラブが必要と考え、ポジション毎のグラブを開発する。

【1979年】
従来型のウェブよりも柔軟性に優れ、ボールの捕球力が上昇した8の字で革紐を編み上げたグラブのウェブを開発する。

以上が、1968年〜1979年の軌跡となります。この頃から、いろいろな野球用品にこだわりをもって、かつ、使う人の声を積極的に取り入れて、改良を重ね、久保田スラッガーの野球を良くしようという思いがつまっていますね。
posted by 久保田スラッガー大好き人 at 18:00 | 久保田スラッガーについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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